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金賢姫の恩赦の理由とは?死刑にならなかった!【大韓航空機爆破事件】

金賢姫の恩赦の理由とは?死刑にならなかった!【大韓航空機爆破事件】
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1987年に世間を震撼させた大韓航空機爆破事件。

【大韓航空機爆破事件とは】

1987年11月29日に韓国・大韓虚空所属の航空機が、北朝鮮の工作員によって飛行中に爆破されたテロ事件です。

  • 10月7日 – 金正日によるテロ行為の親筆指令が下る

イラク発UAE、タイ経由韓国行きの予定で、バンコク国際空港に到着する予定でしたが、ミャンマーの旧都市であるラングーン(現:ヤンゴン)から南約220km会場上空の時点で旅客機内で爆弾が炸裂し機体が空中分解しながら墜落。

乗員・乗客115人が全員死亡しました。

「ザ・世界仰天ニュース」で取り上げられました。

大韓航空爆破事件の実行犯である金賢姫さんには1990年3月に死刑が確定したのですが、当時の韓国大統領である盧泰愚大統領の判断により、

死刑確定から約半月後の4月12日に恩赦となりました。

本記事では金賢姫さんが恩赦となった理由について取り上げます。

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金賢姫が恩赦となった理由とは?

金賢姫さんが恩赦となった理由は、

金賢姫さんが北朝鮮の工作員として洗脳・マインドコントロールされた被害者だった可能性があったからです。

金賢姫さんは北朝鮮という特殊な環境の中で工作員の訓練を受けました。

金正日の命令で大韓航空機爆破事件を起こした金賢姫さん。

金正日の命令だったので、命令されたら実行する以外の選択肢はありませんでした。

金賢姫さんの恩赦によって、北の工作員の実態を暴くために、韓国政府が韓国内に潜んでいる北の工作員や諜報員の投降や亡命を促すためでもあったのです。

つまり、事件の生き証人のための政治的な措置ということになります。

以上の理由から、金賢姫さんは恩赦となったのです。

もうひとりの実行犯の男性は身柄が確保されて事情聴取を受けている最中に自ら命を立っており、事件の真相を知る手がかりになる人物は金賢姫さんしかいないということになります。

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大学入学後に国から工作員として召喚

金賢姫さんは1962年に外交官だった父親と、教師の母親のもとに生まれます。

父親の仕事のために、金賢姫さんはキューバで生活。

かなり頭がよかった金賢姫さんは平壌外国語大学を次席で卒業します。

この頭の良さから、1980年に朝鮮労働党中央委員会調査部工作員として召喚。

  • 1981年:金正日政治軍事大学工作員速成情報クラスに「入学、韓国化教育、日本語教育、中国化教育を受ける。
  • 1983年から1987年にかけてはスパイ実務教育・再武装教育を受ける。
  • 1987年10月:大韓航空機爆破事件の任務が下される。
  • 金賢姫さんは「蜂谷真由美(はちやまゆみ)」という名の日本人になりすまして、大韓航空機爆破事件に北朝鮮の工作員として関わり、逮捕されました。

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まとめ

金賢姫さんの恩赦理由がお分かりいただけたでしょうか?

金賢姫さんは事件の生き証人であり、強制的に北朝鮮の工作員としての教育を受けさせられていたのですね。

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