“本能寺の変が起きた理由は…?”
注目の投票結果をお知らせします!

2021.02.19

明智光秀が主君である織田信長を討った“本能寺の変”。その原因はよく分かっておらず、日本史最大のミステリーと言われています。

京都亀岡大河ドラマ館の史実展示のエリア⑦「なぜ本能寺の変は起きたのか?」では、明智光秀が本能寺の変を起こした理由を数ある説の中から4つを挙げ、来館者の皆さんにシールを貼って投票していただきました。

京都亀岡大河ドラマ館は、令和3年2月14日に閉館しましたので、最終の投票結果をお知らせします。1位になったのは、どの説でしょうか?


※令和3年2月14日閉館後のパネルです。
※投票用の小さい丸いシール100枚で大きい丸いシール1枚に張り替えていて、各説の桔梗紋の輪郭に貼ってある大きい丸いシールは100票を表しています。

【投票結果】

1位 怨恨説     5,824票

光秀の蓄積した個人的うらみによって織田信長殺害を計画したというもの。八上城落城の際、人質として差し出していた光秀の母親が殺害されたことなどから、個人的うらみが蓄積していた。

2位 朝廷黒幕説   4,130票

光秀謀反の背景に、天皇家をはじめとする朝廷勢力がいたとする説。信長が天皇を譲位させ、自ら上皇になろうとしていたとし、反感を強めた朝廷勢力が光秀に信長を討たせた。

3位 突発的犯行説  3,524票

黒幕は存在せず、光秀が信長殺害を思いつき、単独で動いたとする説。光秀が取り持ってきた長宗我部元親の四国安堵が急に反故にされるなど面目を失った光秀が自らの今後を憂慮して信長殺害を決意した。

4位 足利義昭黒幕説 2,025票

光秀謀反の背景に室町幕府第15代将軍足利義昭がいたとする説。室町幕府の秩序回復のため、光秀と義昭が連携し、織田政権の転覆を狙った。

断トツで1位となる確固たる説がなく、投票数が分かれた結果となりました。

ドラマでは、個人的な恨みではなく、さまざま人の思いを光秀が受けとめ苦悩した末で、“本能寺の変”を決行した様子が描かれました。それにそのまま該当する説はありませんでしたので、人によってとらえ方が違い、各説へ投票数が分かれたのかもしれません。

京都・亀岡は、“本能寺の変”出陣の地です。
亀岡市内には、光秀が築き、“本能寺の変”に向けて出陣した丹波亀山城や城下町が残ります。そんな光秀の面影が残る亀岡で、光秀が本能寺の変を起こした理由に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。

投票していただいた皆さま、ありがとうございました。
引続き、“光秀公のまち亀岡”をよろしくお願いします。

 

お知らせ一覧

亀岡市の情報はこちら

2020年1月11日(土)~2021年2月14日(日)

サンガスタジアム by KYOCERA(京都スタジアム)内
特設会場(JR亀岡駅北口すぐ)


2021年2月16日以降は、
電話075-221-7401/FAX075-223-5192
(株)近畿日本ツ―リスト関西 京都支店
大河ドラマ館担当デスクにお問い合わせください。

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