明智光秀略年譜(正史)

明智光秀肖像画

明智光秀肖像画(本徳寺蔵・大阪府岸和田市)

年号(西暦)

年齢

できごと

享禄元年
(1528)

1

出生と伝える(出生年には諸説あり)

弘治2年
(1556)

29

美濃・明智城を出て、越前の朝倉義景に仕えたという。

永禄11年
(1568)

41

  • 9月 足利義昭を奉じた信長に従って上洛したという。

元亀元年
(1570)

43

この年、長子(十五郎)生まれる。

元亀2年
(1571)

44

  • 9月 信長、比叡山焼き討ち。光秀、近江・志賀郡を与えられ、坂本城を居城とする。

天正3年
(1575)

48

  • 正月 信長から、丹波平定を命じられる。
  • 6月 信長、丹波の内藤・宇津氏の討伐を小畠氏に命じ、光秀も援軍として派遣される。
  • 7月 信長から惟任の名字、日向守の官途を与えられる。
  • 11月 丹波・黒井城を攻める。国衆の大半は光秀につく。

天正4年
(1576)

49

  • 正月 再度、丹波・黒井城を攻めるが、波多野秀治の離反により退却する。
  • 2月 再び丹波に出陣する。
  • 5月 発病して帰京。曲直瀬道三の治療を受ける。
  • この年の冬、光秀の妻病む。

天正5年
(1577)

50

  • 10月 丹波・籾井城を攻める。

天正6年
(1578)

51

  • 4月 光秀ら、丹波・園部城の荒木氏綱を攻める。
  • 8月 娘玉を、細川忠興に嫁がせる。
  • 11月 信長に従い、離反した摂津・有岡城の荒木村重を攻める。
  • 同月 小畠氏に丹波・亀山城普請の指示をする。

天正7年
(1579)

52

  • 6月 丹波・八上城の波多野氏を降す。
  • 8月 丹波・黒井城の赤井氏を降す。
  • 10月 丹波・丹後の平定成り、安土城の信長に報告する。

天正9年
(1581)

54

  • 2月 信長の京都馬揃に奔走する。
  • 6月 軍規を定める。
  • この年、細川藤孝とともに丹後検地を行う。

天正10年
(1582)

55

  • 5月 信長から、家康の安土登城の際の饗応役を命じられる。
  • 同月 信長から、西国出兵を命じられる。
  • 同月 愛宕山に詣で、里村紹巴らと百韻連歌を行う。
  • 6月 本能寺の信長、次いで二条城の信忠を攻め、自害させる。
  • 同月 山崎にて羽柴秀吉・織田信孝らと戦い、敗れる。その後、小栗栖にて一揆勢の手にかかり、自害。
  • 同月 明智秀満、坂本城に入り、光秀の妻子らを刺殺して自害する。

  • ※亀岡市文化資料館 第65回企画展『光秀伝説-丹波興敗略記の世界-』(2019年)
  • ※藤田達生・福島克彦編『明智光秀 史料で読む戦国史』(八木書店 2015年)
  • ※年齢は、参考に『明智軍記』の記述より計算して付した
  • ※亀岡市提供の資料をもとに構成しており、ドラマの内容とは異なる場合があります

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2020年1月11日(土)~2021年1月11日(月・祝)

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