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田中裕二【安全地帯】現在の病状は?経歴(カフェオーナー)や生い立ちまとめ

田中裕二【安全地帯】現在の病状は?経歴や生い立ちまとめ

2022年12月17日に、安全地帯の田中裕二さんが65歳でお亡くなりになりました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

あまりにもお若くて驚きを隠せませんね。

安全地帯の田中裕二さん、いつから脳内出血を発症し闘病していたのでしょうか?

ミュージシャンの田中裕二さんの現在の病状や経歴、生い立ちについてもまとめたいと思います。

田中裕二さんはカフェオーナーとしても活躍されていたのですよ!

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田中裕二【安全地帯】現在の病状

安全地帯の田中裕二さんは、2019年に脳内出血を発症しました。

田中裕二さんは、2019年11月の安全地帯の単独公演「安全地帯IN甲子園球場『さよならゲーム』への出場を断念していました。

脳内出血とは

脳内出血とは、脳の血管が破れて、脳の実質内に血液が流出する状態です。

血の塊を作り、脳を圧迫。

糖尿病や高脂血症や高血圧などにより動脈硬化が進むと、脳の細かい血管が脆くなって破れやすくなると考えられているようです。

脳内出血の原因は動脈硬化と高血圧が大きな要因ですが、安全地帯の田中裕二さんにもこのような症状があった可能性はありますね。(ニュースサイトでは公開されていないようです。)

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田中裕二(安全地帯)の経歴

田中裕二さんは1962年に安全地帯の矢萩渉さんに出逢います。

安全地帯は1973年にボーカルの玉置浩二さんとギタリストの武沢豊さんを中心に北海道の旭川市で結成しました。メジャーデビューは1982年です。

【安全地帯のメンバー】

  • 玉置浩二(ボーカル・ギター)
  • 矢萩渉(ギター)
  • 武沢豊(ギター)
  • 六土開正(ベース・ピアノ・キーボード)
  • 田中裕二(ドラムス)

1988年の安全地帯が活動休止を宣言しました。

1988年〜カフェレストラン・オーナー兼ドラマーに

田中裕二さんは、1988年の安全地帯活動休止宣言後、

カフェ・レストラン・オーナー兼ドラマーの道へ進みます。

音楽活動以外に千葉市白井市にカフェ・レストラン『カフェ・ド・とおやま」(2006年6月1日の『Y’s cafe』に改名)をオープン。

雑誌等にも取り上げられていたようですね。

Y’s cafe
住所:千葉県白井市根1710

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2002年活動再開〜2004年活動休止

田中裕二さん、2002年の安全地帯の活動再開とともにまた音楽活動をすることになりますが、2004年に安全地帯は再び活動休止になってしまいます。

以降、メンバーは個々の活動に入り、田中裕二さんはここで音楽活動を離れてしまいます。

カフェ・レストラン業に専念


2004年に安全地帯が活動休止になり、以降カフェ・レストラン業に専念することになった田中裕二さんは、

カフェ・レストラン業に専念し、2006年11月1日には日本紅茶協会により「紅茶のおいしいお店」に認定されます。

2009年再び音楽活動再開決意

2009年、この頃、急性膵炎で2年間療養していた安全地帯の玉置浩二さんが、音楽活動再開を決意し、安全地帯のメンバーを招集。

安全地帯のドラマーとしてカフェオーナーとして活躍していました。

2016年「じっくり聞いタロウ」に出演


田中裕二さんは、2016年7月14日にテレビ東京で放送された「じっくり聞いタロウ〜スター近況(秘)報告〜」にも単独で出演しています。

休止の多いグループの事情から安定した収入を得るためにカフェ経営を独学で始めたエピソードを披露するなどして活躍していました。

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田中裕二の生い立ち

田中裕二さんは北海道旭川市の出身です。

田中裕二さんは1987年、自動車整備工である父親の家庭に生まれました。

1972年、中学3年生の時に、ギターを弾いていた同級生の矢萩渉さんとバンドを結成し、1974年〜1976年、音楽コンテストに出場する中で、玉置浩二さん率いる「安全地帯」を親交を深めることになります。

  • 生年月日:1957年5月29日
  • 職業:ドラマー、カフェオーナー
  • 活動期間:1982年(安全地帯)1989年〜1990年(VoThM)
  • 事務所:MUSICAL FARMERS PRODUCTION

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まとめ

安全地帯のメンバーでありミュージシャンの田中裕二さんの現在の病状、経歴、カフェオーナー、生い立ちについてまとめました。

ドラマーとしての顔ももち、カフェオーナーとしても顔ももつ田中裕二さん。

さまざまなことにチャレンジし、ドラマーとしてもカフェオーナーとしてもファンが多かったと想像します。

とてもお若くしてお亡くなりになりましたが、とても充実の人生だったに違いありません。

虹の橋の向こうに行っても、美味しい紅茶を淹れながら大好きなドラム活動をする、そんな時間をお過ごしになられたらと心から願います。

今まで本当にありがとうございました。

心からご冥福をお祈りいたします。

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