元プロレスラーで参院議員も務めたアントニオ猪木さんが、2022年10月1日、7時40分、東京港区の自宅で心不全でお亡くなりになりました。
アントニオ猪木さんは2018年に「心アミロイドーシス」という難病で闘病していました。
多くの方に愛され虹の橋を渡ったアントニオ猪木さんには、弟がいました。
アントニオ猪木さん家族葬で、喪主は実弟が務めますが、
アントニオ猪木さんの弟や兄弟について、生い立ちと共にここに残そうと思います。
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アントニオ猪木の弟|猪木啓介の顔画像や経歴
【週刊プロレスmobile】 アントニオ猪木の実弟・猪木啓介さん「苦しまずに逝ったかなと思います」(22/10/01 21:24) https://t.co/jrmAVXrp38
— ひろ健斗 (@hiro57213) October 2, 2022
アントニオ猪木さんの実の弟のお名前は猪木啓介さんです。
※2022年10月4日追記しました。
アントニオ猪木さん家族葬で喪主は実弟の啓介さんが務めます。
猪木啓介さんの顔画像ですが、とてもお優しそうな顔ですね。
- 名前:猪木啓介さん
- 年齢:74歳(2022年10月現在)
- 職業:不明
猪木啓介さんに関する情報は多くは公開されていませんが、猪木さんの最後を看取ったのは啓介さんなのです。
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アントニオ猪木の生い立ちが壮絶
- 本名:猪木寛至(いのき かんじ)
- 生年月日:1943年2月20日
- 死没:79歳(2022年10月1日)
- 最終学歴:横浜市立寺尾中学校
- 父親:猪木佐次郎(アントニオ猪木が5歳の時に死亡・県会議員の可能性)
- 母親:猪木文子
アントニオ猪木さんのご実家は石炭問屋を営んでいましたが、世界のエネルギー資源が石油に変わり倒産。
12歳で中学校に入学し、13歳の時に貧困を抜け出す可能性を信じて、母親、祖父、兄弟と共にブラジルへ渡り、サンパウロ市近郊の農場で少年時代を過ごします。
早朝5時から夕方5時までコーヒー豆の収穫などを中心に、弟さんと一緒に過酷な労働を強いられていたようですね。
1960年4月11日に、サンパウロを訪れていた力道山から直接スカウトされて日本に帰国し、日本プロレス団に入団しました。
兄弟は11人
アントニオ猪木さんは、11人兄弟です。
11人兄弟の九番目の六男として生まれました。
兄にあたる次男と妹の四女、そして弟で七男の啓介さんの3人が存命。
- 次男:高齢
- 四女:ブラジルで暮らしている
- 六男:アントニオ猪木さん
- 七男:猪木啓介さん
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アントニオ猪木と弟の最後の関わり
#アントニオ猪木 さん、難病と闘い続け30日深夜に容体急変 ブラジルから駆け付けた弟・ #猪木啓介 さん「苦しまず逝った」
https://t.co/XY9HyojZHk— N☆카린(かりん)🌾🌕🐰 #国葬反対 #原発反対 (@Enu_Karin_N326) October 1, 2022
アントニオ猪木さんは、亡くなる前日の9月30日に「お前ちょっと来いよ」と言って、弟の啓介さんを呼び出し対面したのだそう。
アントニオ猪木さんの弟の啓介さんはこう言います。
「話はできませんでしたが、目もはっきりして良くなったと思っていたんですが、今朝に容態が急変しました。」と。
弟の啓介さんは、呼び出された翌日の10月1日6時半に、猪木さんの体調を管理する看護師さんから容態が急変したことで呼ばれ駆けつけ、
そして、
「兄は苦しむことなく本当に眠るように逝きました。穏やかな顔でした」と明かしました。
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アントニオ猪木と弟の猪木啓介さん、生い立ちまとめ
アントニオ猪木さんは、愛妻の田鶴子(たづこ)さんが眠るお墓で安らかな眠りにつくようです。
アントニオ猪木さんのお墓は青森県内にあります。
アントニオ猪木さんは、弟の猪木啓介さんと前日にお話ができたのですね。
生い立ちを辿ると、共に厳しい時代を生き抜いた弟の猪木啓介さんとお話しできたことは、猪木さんにとって幸せな時間だったのかもしれません。
正直とても悲しいですが、ギブアップせずに闘志を燃やし続けた姿勢は多くの方の励みになったと思います。
どうぞ、虹の橋の向こうではゆっくりと大好きな方々とお過ごしください。
本当にありがとうございました。私もアントニオ猪木さんからは多くのものをもらった1人です。
家族葬は、米国に住む長女の帰国を持って営まれるそうです。
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