1982年に日本航空350便墜落事故が発生しました。
日本航空350便墜落事故とは?
(にほんこうくう350びんついらくじこ)は、1982年(昭和57年)2月9日(火曜日)に日本航空のダグラス DC-8-61型機が羽田空港沖に墜落した航空事故です。
1982年2月9日、日本航空の350便が福岡空港から羽田空港へと離陸し午前8時44分に羽田沖に墜落しました。
350便は、福岡空港発・東京国際空港行の定期便で、乗員乗客174人中24人が死亡し149人が負傷。
事故の原因は、着陸直前に機長が逆噴射装置を作動させたことによる急降下が原因で、機体は事故により大破。
事故後の調査で実際には人身事故で、機長の精神的な疾患やトラブルによるものだと判明。
事故後に生存していた機長ですが、
精神鑑定の結果、責任能力が認められなかったため不起訴処分となりました。
この時の機長は片桐清二機長です。
片桐清二機長は現在どのような生活を送っているのか?
また、経歴や学歴、
精神的不安定になったのはいつか?
家族についてもまとめてみました。
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片桐清二の現在は?
片桐清二機長は現在70歳前後(2023年3月現在)になります。
片桐清二機長は、墜落事故後に業務上過失致死罪にて逮捕されますが、
精神鑑定の結果、妄想型精神分裂病(統合失調症)を診断され、不起訴処分となりました。
精神衛生法に基づき、東京都立松沢病院の精神科の措置入院となり、その1年後に日本航空を解雇されました。
現在は、日本航空からの退職金、年金、精神障害者保健福祉の給付などにより生活をしていると想像します。
神奈川県にある葉山町で生活しているという噂もありますが、真偽は不明です。
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片桐清二機長のwiki経歴
- 名前:片桐清二(かたぎり せいじ)
- 出身:大分県別府市
- 所属:日本航空
片桐清二機長は日本航空に入社し、総飛行時間は5,698時間だったといわれています。
学歴
- 大分県立別府鶴見丘高校卒業
- 岡山理科大学理学部数学科に進学するが中退
- 航空大学校に入学
- 1969年10月1日に日本航空に入社
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精神的に不安定になった時期
片桐清二機長は1969年10月にパイロットとして日本航空に入社後、1976年8月26日に日本アジア航空へと出向し、定期運送用操縦士の学科試験を受けますが、不合格となってしまいます。
このことから精神的に不安定になるようになったとのことです。
1979年12月に機長に昇格しますが、
機長昇格の約2年後に「日本航空350便墜落事故(逆噴射)」が起きてしまいます。
精神的に不安定になっているとわかって、日本航空はなぜ片桐清二機長をパイロットとして採用していたのでしょうか?
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嫁(妻)と家族
片桐清二機長は、パイロット試験合格後には結婚しています。
妻との間には娘がいますが、妻と娘の顔画像や名前など、詳しい情報は公開されていないようで、探すことができませんでした。
妻の名前は明らかになっていませんが、実家が医者をやっていたこともあり、裕福な家庭で育ったようです。
妻は元CAとのこと。
片桐清二機長の姉は千鶴子さんといい、事故後の1983年に著書「幻の滑走路―弟清二と羽田沖墜落事故」(中央公論社)を発売しています。
まとめ
片桐清二機長の現在や、経歴学歴、妻や家族についてまとめました。
片桐清二機長は事故以前から精神異常が疑われる行動を繰り返したにもかかわらず、基調として旅客機を操縦させていたのはなぜでしょう?
日本航空に対する批判も大きいですよね。
再発防止に力を入れているとは思いますが、もう二度とこんな事が起きないでほしいですね。
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