森英恵(もりはなえ)さんは、バルセロナオリンピックの日本選手団の公式ユニフォームや現皇后である雅子様のウェディングドレスなどのデザイン他、素晴らしい経歴を持つ世界的なファッションデザイナーです。
お孫さんである森泉さん・森星さんも芸能界では有名ですので、その祖母様とおなる森英恵さんのことを知らないと言う人は少ないのではないでしょうか。
森英恵さんのお父様はお医者様で森英恵さんにもお医者様になるように勧めていたそうです。そんな森英恵さんはどのように世界的なファッションデザイナーへの道を歩まれたのでしょうか。
ここでは森英恵さんの家系図や生い立ち、デザイナーとしての経歴についてご紹介したいと思います。
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森英恵(もりはなえ)の生い立ちについて
森英恵先生が亡くなられた。私にとって映画時代が
一気に遠くに行った。
東宝も日活も大映も、仮縫いに行って下さい、って
先生の所に送り込まれた。狭い階段を上がると、あの笑顔が出迎えて下さったが、仮縫いは痛かった。イタイ、あごめんなさい。
先生の腕の針刺が怖かった。刺されたいもう一度。— Yaeko Mizutani (@oyaechan8) August 24, 2022
森英恵さんは1926年1月8日に島根県、現在の吉賀町に5人兄弟の4番目として生まれ、2人のお兄様、お姉様そして妹さんと一緒に育ちました。
影響が強い父は開業医
お父様は開業医だったそうなのですが、とてもオシャレな方で自身が着るスーツだけではなく、姉妹に着る服もいつも有名デパートでオーダーをされていたそうです。
森英恵さんがデザイナーとなった理由には、このようなお父様からの影響もあったのかもしれません。
森英恵さんは小学校4年生の時に東京へ移住します。その後、お父様の反対を押し切って東京女子大学に入学し、卒業されています。
夫の森賢さんと結婚
夫である森賢さんのご実家が繊維会社ということもあり、森英恵さんはドレスメーカー女学院で洋裁技術を習得しました。そして1951年、新宿にオーダーメイドの洋装店「ひよしや」をオープンします。その3年後には銀座に「HANAE MORI」をオープンさせ、順調なデザイナー人生をスタートさせました。
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森英恵の家系について
森英恵さんと夫、森賢さんの間には3人のお子さんがいらっしゃいます。
夫である、森賢さんはハナエモリ元代表。
次男の森恵さんはカシミア専門店を経営しています。
長男である森顕さんは元インファス代表でもあり、イタリア系アメリカ人の元モデルであるパメラさんと結婚されています。
パメラさんとの間に生まれたのは以下の5人です。
- モデルやタレントとして活躍されている、長女の森泉さん
- 三女の森星さん
- そして長男の森研さん
- 次男の森勉さん
- 次女の森雪さんの5人のお子さんとなります。
森家の総資産はなんと1000億以上もあると言われています。
森英恵さんのサクセスストーリについて
森英恵さんが営む「ひよしや」はなんとラーメン屋の2階に店舗があったそうです。
なので集客方法については試行錯誤があったそうです。
この方法が功を奏し、評判のお店となります。
ひよしやオープンから銀座へと店舗が増える
「ひよしや」オープンから3年後には、銀座へも店舗を構えます。
そして、1950年代の日本映画全盛期に、石原裕次郎さん主演の「太陽の季節」の衣装を手掛けたことで、映画衣装のお仕事が舞い込むようになり、400本もの映画衣装のお仕事に携わったそうです。
海外進出へ
森英恵さんは1961年に初めてパリを訪れます。
1965年にNYコレクションに初参加をし、蝶をモチーフにしたドレス作品により「マダムバタフライ」と呼ばれるようになりました。
1977年にはパリのコレクションへも進出し、フランス・オートクチュール組合の審査をクリアして、東洋人初の会員として認定されます。
顧客の中にはグレース・ケリーさんやソフィアローレンさんといった世界の著名人が名を連らねるようになりました。
その後27年間、オートクチュール・コレクションの発表を続け、2004年秋冬のパリのコレクションを最後にデザイナーを引退します。最後のコレクションには多くの有名人が駆けつけ、最後のショーでは孫の森泉さんと一緒にフィナーレの舞台に立たれていました。
デザイナー引退後も公益財団法人彫刻の森芸術文化財団の理事や彫刻の森美術館と美ケ原高原美術館の館長として活躍されていました。
まとめ
森英恵さんは皇后雅子さまに《薔薇の花のような方》というイメージを抱きバラの花びらをモチーフにした飾りを襟元にあしらいました🌹https://t.co/lW6dunph99 pic.twitter.com/qgRm8uH9LG
— ken ken . (@belleza_6u6) August 28, 2022
日本だけではなく、世界を牽引してきたデザイナーである森英恵さん。
お父様が小さい時からオーダーされた服を着せていたり、夫の森賢さんとの出会いで洋裁とめぐり逢い、「ひよしや」をオープンさせ、デザイナーという自分の才能を開花させる道に出会えたようです。
戦後の日本では女性がお店を経営してゆくのも大変だったかと思います。森英恵さんはデザイナーの才能だけではなく、逞しさも持ち合わせていたことで大成功を収める事ができたのではないでしょうか。
プライベートでも優秀なお子さんやお孫さん、そして曾孫にも囲まれ、それぞれの活躍を喜んでいたと思います。
残念ながら今年の8月に森英恵さんはお亡くなりになってしまいましたが、後世に名を残すすばらしい人生であったと思います。
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