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森英恵の夫とは?夫と歩む経歴が泣ける!現在は何をしていた?

森英恵の夫とは?夫と歩む経歴が泣ける!現在は何をしていた?
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森英恵(もりはなえ)さんが、2022年8月11日に、老衰のため亡くなられたと報じられました。

心よりお悔やみ申し上げます。

森英恵公式サイト

この記事では森英恵さんの夫や夫と歩む経歴、また、現在までどのように過ごされていたかをまとめたいと思います。

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森英恵の夫とは?

森英恵さんが結婚した夫(旦那)は、森賢さんです。

1996年10月に、森賢さんは亡くなっています。

夫との馴れ初め

夫の森賢さんとの馴れ初めです。

森英恵さんは1926年生まれ、島根県出身です。

森英恵さんは東京女子大学高等学部での学生時代に、勤労動員の工場で知り合った元陸軍主計少佐である森賢さんと知り合います。

1947年に森英恵さんは高等学部を卒業。

1948年に森賢さんと結婚します。

夫の実家の会社

森賢さんの実家は、愛知県一宮市の繊維会社でした。

そんな夫の支えもあって、森英恵さんは、ドレスメーカー女学院に通い、洋裁技術を習得します。

もちろん夫の支えだけではありませんよね。

森英恵さんの努力が想像されます。

夫と洋裁店「ひよしや」オープン

森英恵さんが洋裁技術を習得した後、

1951年、森英恵さんが25歳の時になります。

新宿東口のラーメン屋の2階に洋裁店「ひよしや」を開きます。

シロコ
シロコ
最愛の夫と念願の洋裁店をオープンです!

夫の森賢さんの大学時代の人間関係や人脈から、映画監督の依頼で、

森英恵さんは、「太陽の季節」「狂った果実」「彼岸花」「秋日和」「秋刀魚の味」「四十八歳の抵抗」など、400本にのぼる映画の衣装を手掛けました。

シロコ
シロコ
400本にのぼる映画の衣装って凄くないですか!

森賢さんのおかげで育てた、ここまでの努力がこの後、大きく実を結びます。

では森英恵さんの経歴としてご紹介しますね。

森英恵の経歴

それから1954年、森英恵さんが28歳の時です。

銀座にブティック&サロン「ハナヱ・モリ」オープン。

1965年、森英恵さんが39歳の時、ニューヨーク・コレクションに初参加。

シロコ
シロコ
蝶をモチーフにした女性的でエレガントなドレスが受けて、マダム・バタフライと呼ばれ、ファッション界の話題になりましたね!

1977年、森英恵さんが51歳の時、業界において最も権威的で、非常に閉鎖的でもあったフランス・オートクチュール協会(サンディカ)のメンバーとなります。

主な作品

  • バルセロナオリンピック(1992年)
  • リレハンメルオリンピック
  • 日本選手団の公式ユニフォーム
  • 海外のオペラの舞台
  • 海外のバレエの舞台
  • 1967年から1987年、JALの客室乗務員NO制服
  • 1993年当時皇太子だった現在の天皇陛下と皇后雅子さまのご成婚に際し雅子さまのローブデコルテをデザイン

以上の衣装を担当し、ファッション界の第一人者として活躍。

夫の死

1996年、森英恵さんが70歳の時、最愛の夫であり、世界でビジネス拡大していた最中に、森賢さんがお亡くなりになります。

2004年7月7日のパリ・コレクションで引退し、第一線を退いていました。

森英恵さん、78歳の時でした。

森英恵の現在は?

2004年7月の引退後、

2018年、92歳の時、『梅沢富美男のズバッと聞きます!』に出演しています。

2020年、森英恵さんが94歳の時、「森英恵 世界にはばたく蝶」を開催していました。

まとめ

森英恵さんの夫と、夫歩む輝かしい経歴、

世界でのビジネス拡充の最中での夫の死、

それから引退、現在に至るまでをご紹介しました。

日本では珍しい大企業の女性社長として、女性解放のパイオニアでもありました。

たくさんの思い出と共に、ありがとうの一言しかありません。

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